記憶の空白。消えた建物とわたしの脳

更地に立ち尽くすわたし

近所を歩いていたら、見慣れたはずの場所が更地になっていた。

そこには何かが建っていたはずだ。
何か……何かが……。

でも、何の建物だったのか、まったく思い出せない。

何があったのか、まったく思い出せない

工事用の柵が並び、ショベルカーがぽつんと鎮座するその風景。
「近日、ここに新しいマンションが建設されます」と書かれた白い看板。
跡形もなく平らになった土地を見つめながら、わたしは確信した。

ここに何かあった。

でも何があったのかは思い出せない。

スーパーだったか?
いや、違う。そんな生活に直結する施設なら、なくなったらもっと困るはずだ。

コンビニ?
いやいや、それも違う。あったような気もするが、こんなに記憶が曖昧になるはずがない。

飲食店…?
いや、もしそうなら、「あそこのメニュー好きだったのになぁ」みたいな感情が湧いてくるはずだ。

考えれば考えるほど記憶が遠のく。
何かあったことは確かだ。でも、その何かが何だったのか、全然わからない。

以前にもあった「思い出せない現象」

しかし、ふと気づく。

わたしは、この「何があったのかを思い出せない現象」に、過去にも遭遇したことがある。
その時も、結局思い出せず、「まぁ、いいか」となった。

記憶から消えていく建物たち

…いや、よくない。

このままでは、知らぬ間に記憶の中の建物がどんどん消滅し、
気づけばわたしの頭の中の街並みは、更地だらけになってしまうのではないか?

もしかすると、この世界には「消える建物の法則」があるのかもしれない。

目立つわけでもなく、生活に不可欠なわけでもなく、
そこにあることが空気のように当たり前だった建物が、
ある日忽然と姿を消し、そして記憶の中からもフェードアウトする。

存在していたのに、存在しなかったことになる。

この不可解な現象を、人は普段気にしない。
だが、確実にそこにあったものが、何だったのかすら思い出せないまま消えるというのは、
何かとても怖いことのような気がするのだ。

本当に怖いのは、思い出せないということ

さらに恐ろしい考えが浮かぶ。

「もしかして、今までもずっと、こうしてわたしの記憶から何かが消えてきたのでは?」

実は今日までに、わたしが覚えてすらいない取り壊された建物が、
何十、何百とあったのではないか?

そのすべてが、こうして思い出せぬまま、
「ここ、前に何かあった気がするんだけどなぁ…まぁいいか」で片づけられ、
歴史の闇へと消えていったのでは?

わたし自身も、誰かの記憶から消えるのだろうか

もし、わたしの家が取り壊されたらどうなるのだろう?

「ここ、前に何かあった気がするんだけどなぁ…」

そうやって、誰かがわたしの家のあった場所を見つめ、
わたしのことも思い出せないまま、更地になっていくのではないか?

ぞっとしながら、わたしはその更地を見つめ続けた。
そして、その土地に何があったのかを、せめて今日一日は思い出そうと努力することにした。

忘却とともに、今日も世界は変わっていく

…が、やっぱり思い出せない。

今日のところは諦めるしかない。

明日には、この更地のことすら忘れているかもしれない。

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