舞踏家、大野慶人さんのワークショップに参加してきました。
時間の限られたワークショップだからホントにベースのところだけ、という司会の方のお言葉。
いやいや、さにあらず! ディープな精神世界のお話でした。擬音率高し。でも音楽的文脈から向き合ってみたら理解度がぐんと増した! 表現という目的に対する手段の違いだけで、舞踏と音楽の親和性は高いのかもしれないですね。
はふー、素晴らしいお話だったー。あと12時間くらいぶっ通しで聞き続けてても全く疲れないし飽きないんじゃないかと思うくらいの浸透圧で心に染み込んでくるお話だった。 ティッシュ一枚で花を表現する。でもティッシュで花を作るんじゃない。あなた自身が花なんです。つぼみから咲きかけ、満開、しおれかけ、散りかけで鳥の羽ばたきにさえ怯える花びら。そんな表現。でも技術論はゼロ。心の内側からこみ上げてくるもの、それを花の『体験』として身体で表現する。ティッシュはただの媒体に過ぎない。
石になってみましょう。どんな石でもいいです。「石の上にも3年」「石橋を叩いて渡る」とか、あなたの中にある石になってみてください。
石仏、お地蔵さんになってみましょう。硬さ、重さ、冷たさ。さぁ、そしてお地蔵さんになって歩いてみましょう。
ワークショップは全然ついていけなかったー。何もできなかった。現実に縛り付けられてどうすることもできなかった。無念。変化じゃなくて変貌する、という言い回しが印象的だった。
あるところにレンガを積んでる人がいます。あなたは何をしてるんですか?と問うと、「ご覧の通り、レンガを積んでるんです」という回答。 また別の場所でレンガを積んでる人がいます。 あなたは何をしてるんですか?と問うと、「教会を作ってるんです」 2人がやっているのは全く同じことなのに、返ってくる答えはこんなに違う。感じ方の多様性のたとえ話。 舞踏ってすごいなー。
いつか空の飛び方を 知りたいと思っている者は、 まず立ちあがり、 歩き、走り、登り、踊ることを 学ばなければならない。その過程を飛ばして、 飛ぶことはできないのだ。ニーチェ