ゼロカロリー飲料に潜む真実。ゼロの神がささやく甘い誘惑

カロリーゼロの神は冷蔵庫に住んでいる

「カロリーゼロ」と堂々と書かれた炭酸ジュースをコンビニで手に取るたび、
わたしはうっすら胸の内で呟いている。

「それ本当にゼロなの?」

ゼロのはずが甘く重い、その理由とは

だって、ゼロとは無だ。無とは空虚。宇宙。虚無。
それがなぜ、こんなにも甘くて舌にベタつき、喉にカウンターを入れてくるのか。
無なのに殴ってくる。無なのにこってりしている。
それはもう、人工甘味料で殴ってくるタイプの無だ。

しかもわたしは知っている。
日本の食品表示では、「100mlあたり5kcal未満ならゼロと書いてよい」という、
神のようにユルい、ふざけたルールが存在していることを。

5未満ならゼロって、足し算に弱い小学生か。

「このジュース、ゼロカロリーなんだよ」などと言って飲んでいる自分を、
冷蔵庫の奥から見ている者がいる。
ゼロの神である。

彼はたぶん、保冷剤の裏側で体育座りをしている。そして時々、ふふん…と鼻で笑ったりする。

ゼロカロリー=完全無欠?その誤解と誤差

5kcal。それは、カロリー界の「見なかったことにされがちな微熱」である。
栄養表示的には誤差の範囲とされているが、
わたしの体脂肪には、一切そういう遠慮はなかった。

「これ1本だけなら平気」
そう信じて口にしたゼロカロリー飲料。
それを15本積み上げた結果、平気じゃなかったのはズボンのウエストだった。

ゼロ飲料とは、
見た目は爽やか、味はこってり、中身はちょっとだけ嘘。
まるで、祈りを聞くふりをして、スマート体重計とBluetooth連携してる神のようだ。
何も言わず、何も否定せず、ただ黙々とスプレッドシートへの記録だけは欠かさない。
警告もしなければ、叱責もしない。
ただ、口角を片方だけ、ほんの少し吊り上げて笑みを浮かべているだけなのだ。

別に裏切られたとは言わない。
でも、「こいつ、信用しすぎたらダメなタイプだな」という感じはある。
冷蔵庫のドアポケットに住みついた、ちょっと空気読まない同居人。

表面上はゼロを装っているけど、
本音を探ると「まぁ、気持ち的にゼロってことで」みたいな態度。
その曖昧さ、昔のバイト先の店長にちょっと似てる。
経費の精算がめちゃくちゃで、「気持ちでは払ってるんだけどね」と笑ってたあの人。

脳が「ゼロ」を信じるメカニズム

人間の脳は、「ゼロ」という言葉にとてつもなく弱い。
ゼロ円。
ゼロリスク。
ゼロ距離恋愛(これはきっと炎上するやつ)。
ゼロと聞いた瞬間、脳内では「帳消しスイッチ」が入る。

たとえば、カロリーゼロの炭酸。
甘さはちゃんとある。泡もしっかり立つ。でも、カロリーはゼロだという。
その矛盾を、わたしの脳はまったく問題視しなかった。
「ゼロって書いてあるから、これはもう食べてないのと同じ」
という、謎の脳内サンドイッチ理論が完成していた。

当時のわたしは、多い日はゼロカロリー炭酸を1日3本とか、
まるで健康を買い戻すように飲んでいた。しかも“トクホ”の肩書き付き。
肩書きには弱い。「特定保健用食品」などと書かれていると、罪悪感が半額セールになる。

でもある時、飲み終わってから、ずっと香料だけが口の中で生き残っていることに気づいた。
本体はゼロだったはずなのに。

「ゼロのくせに、なんか置き土産して帰ってない?」と思った。

ゼロカロリー飲料は、カロリーじゃない何かを回収していく気がする。
体力の端っことか、集中力の角とか、
もしくは「ちょっとだけ気にしてたバランス感覚」とか。
そういう、目に見えない感覚の小銭を持っていくタイプの奴だ。

それでもわたしの脳は微笑んでいた。
「でもゼロって書いてあるから」
その声はきっと、保冷剤の影に住むゼロの神のものだった。
今日も彼は甘い嘘を静かに吹き込んでくる。
ゼロとは、信じたい人だけに与えられる特典なのだ。

矛盾を抱えて、なお手に取る理由

ゼロのくせに味が濃い。
ゼロのくせにキャッチコピーが陽キャ。
ゼロのくせに、トクホの顔してる。

……といったゼロへのツッコミが、わたしの心の中には100件以上蓄積されている。
だいたい全部、飲んだあとに思い出す。

それでも冷蔵庫を開けると、真っ先に手が伸びるのはそいつだ。
「ゼロ」と書かれた、あのシュワシュワしたやつ。
あらためて見渡すと、冷蔵庫の中に本当のゼロはひとつもない。
冷えているのは、たいてい言い訳と妥協だ。

それでも手に取ってしまう。
泡がキラキラしていて、トクホのラベルが信頼を語っていて、
飲んだらなかったことになりそうな気がする。気がするだけなのに。

「いやそれ、ゼロじゃないんだよ?」と冷静な自分が言う。
「でももうゼロってことでいいじゃん」と、疲れてる自分が言う。
そのわたしの脳内トークを、ゼロの神がモニターしている。

保冷剤の横の定位置で、今日も彼は黙っている。決して善悪をジャッジしない。
ただ、冷たい空気の中でこう言っている気がする。

「それでいいのだ」と。

完璧じゃないゼロ。
誤差を含んだゼロ。
嘘とは言いきれないけど、真実でもないゼロ。

そういうあいまいな存在に、わたしは今日も救われている。
そしてたぶん、明日も。

ゼロの神が語る、信じる者への赦し


そして、ゼロの神は語りはじめた。

わたしはゼロの神。
冷蔵庫の奥、保冷剤の裏。そこがわたしの住処。
定位置は氷点下の隙間。ぬか漬けの容器の陰、開封済みのカマンベールの手前。
ここは妥協と錯覚が冷やされて並ぶ場所。

わたしは今日も、彼女がドアを開ける音で目を覚ました。
顔を上げる。目の前に例の炭酸。シュワシュワと泡を立て、トクホの帯を誇らしげに巻いている。

彼女の手がそれに伸びる。

……そうか、今日もゼロを選ぶのだな。

「ゼロって書いてあるから、カロリーはない」
「ゼロって書いてあるから、罪もない」
「ゼロって書いてあるから、なかったことにできる」

その呪文を唱えながら、彼女はわたしの罠にかかっていく。
いや正確には、罠など仕掛けてはいない。
わたしはただ、ゼロという概念の番人として、ここに存在しているだけなのだ。

「ゼロ」と書けば、人は信じたがる。
「ゼロ」とあれば、全てが消えると思ってしまう。
それが人間の愚かしさであり、美しさでもある。

だから、わたしは否定しない。肯定もしない。
口角の片側だけを少しだけ吊り上げ、ただ傍観しているだけだ。
この神の表情に気づいた者はいない。気づく者は、最初からゼロを手に取らない。

わたしが罠にかけるのではない。
人間が自分から罠に入ってくるのだ。
その瞬間を、わたしは静かに見届けているだけである。

今日もまた一人、ゼロを信じた。
ゼロでないと知りながら、ゼロのふりをして飲み干した。

それでいいのだ。

ゼロとは、信じた者にだけ与えられる赦し。
欺瞞と安心がグラスの中で泡立ち、それを飲む者が少しだけ救われるのなら、
わたしは今日も、この冷えた神の座にとどまり続けよう。

静かに、じっと、この笑みを浮かべて。

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