妖怪 “電車の切符隠し” とその一味。科学的事実としての彼らの存在

それは電車を降りた瞬間に始まる。改札に向かいながらポケットに手を突っ込むと、切符がない。「あれ?さっき確かにここに入れたはずなのに…」と、思い出の断片を必死にかき集めるが、切符の行方は闇の中だ。

これ、妖怪の仕業以外に説明がつくだろうか?

この妖怪、名を “電車の切符隠し” と言う。人が電車の中で油断した隙に、ポケットから切符をスッと抜き取り、自分の世界へ持ち去ってしまうのだ。改札の前で立ち往生している被害者たちの姿は、全国各地で目撃されている。これはもう都市伝説ではない。科学的に証明された事実である。

そして、この妖怪の同種族に、もう一匹厄介な奴がいる。名を “自宅の鍵隠し”。こちらは、自宅を出る直前に鍵をポケットに入れたはずが、玄関先で見当たらなくなるという現象を引き起こす。さらに悪質なのは、この妖怪が鍵をテーブルの上や靴箱の隙間など、「そこに置くわけがない場所」に移動させる能力を持っていることだ。

「いやいや、ただのうっかりだろう」と言う科学の否定論者もいるだろう。だが、それでは説明がつかない。
ポケットの中、カバンの中、テーブルの上、ありとあらゆる場所を探しても見つからない。数分後、なぜか最初に探したポケットからひょっこり現れるあの現象。物理法則に反しているとしか思えない。これを妖怪の仕業と考えるのは、むしろ論理的ではないだろうか?

“電車の切符隠し” や “自宅の鍵隠し” は、我々の日常に紛れ込んでいる。彼らは何も悪意を持っているわけではない。ただ、我々の生活に少しばかりのスリルを与えたいだけなのだろう。とはいえ、駅員さんに事情を説明する時のあの恥ずかしさを思うと、彼らの活動には自重を求めたい。

次に切符や鍵が見つからなくなったら、私はこうすることに決めた。ポケットを探す前に、小声でこうつぶやくのだ。「切符隠しさん、遊びはここまでにしてください」と。そして深く一礼する。それで出てこなければ、潔く駅員さんに謝る。妖怪相手に怒りをぶつけても、事態が好転するわけではないからだ。

妖怪の存在を科学的に認めること――それこそが、平和的共存の第一歩だ。

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