おとぎ話のウソと、焼き肉の夜
「幸せに暮らしましたとさ」
昔ばなしやおとぎ話の、お決まりのオチだ。子どもの頃は何も考えずに受け流していたけれど、大人になってからふと思った。これ、とんでもなく贅沢なことを言っていないか。
よく読むと、すごいことを言っている。幸せな瞬間があったとさ、でもなく、しばらく幸せだったとさ、でもない。暮らしましたとさ、だ。つまり、幸せが日常として続いた、ということを一行でサラッと宣言している。
現実でそんなことは、まずない。
シンデレラだって、王子様と結ばれたあの日からずっと日常が幸福で満ちていたかというと怪しい。たとえば朝食の目玉焼きに、醤油をかけるかソースをかけるかで大ゲンカ。頭に血が上ったシンデレラが、手近にあったガラスの靴を王子に投げつけて見事にヒット。王子、額から大流血。
あるいは子育ての方針で揉めたり、義母である王妃との関係に悩んだり、城の改装費用で財務大臣に叱られたり、そういう地味で生々しいトラブルが、毎日のように降ってきていたはず。あの一行の裏には、語られなかった膨大な現実があったに違いないのだ。
だから私たちは、あの定型句を「おとぎ話だからこその嘘」として処理する。現実はそんなに甘くない。幸せは一瞬で、日常はしんどくて、完璧な結末なんてどこにもない。
と、ここまではよくある話。でも、本当にそうなのか。
たとえば、こんな夜を思い出してほしい。
仲のいい友達数人と、お泊まりバーベキュー。炭火で焼いた肉をたらふく食べ、ビールを浴びるように飲み、バカ話で盛り上がる。具体的に何を話したかはホルムアルデヒドの彼方に消えているけれど、なんかめっちゃ楽しかった、というざっくりした記憶だけを抱いて爆睡する。
あれは、幸せじゃなかったのだろうか。
記憶すら曖昧で、翌日は二日酔いで、完璧な出来事なんて何もない。でも確かに、あの焼き肉の香りに包まれて意識を失っていく瞬間、人生最高クラスの幸せがあったはずだ。おとぎ話では切り取られないタイプの、輪郭のぼやけた、でも確かにあった、幸福というやつが。
考えてみれば、あの定型句を「完璧で永遠の幸福」の話だと受け取っていたこと自体が、勝手な思い込みだったのかもしれない。醤油ソース論争も、二日酔いも、全部ひっくるめて、ひとつの物語として閉じてしまってもいいのではないか。
焼き肉と酒で意識を失う瞬間のあなた、誰かの読んでる絵本で描かれてるかもしれない。その最後のページにはきっとこう書かれているでしょう。
「幸せに暮らしましたとさ」
