【ガリレオ】訓練された犬として映画『容疑者Xの献身』を見たら、雪山で遭難してFODにトドメを刺された話

私は訓練された犬である

東野圭吾というブリーダーに育てられ、フジテレビという調教師によって、「実におもしろい」と聞こえたら尻尾を振り、数式が窓ガラスに書き殴られたら「ロックだねえ」と涎(よだれ)を垂らすように仕込まれた、忠実な「ガリレオ」犬だ。

原作小説のドライな論理の美しさを愛していたはずの私は、いつしかテレビドラマ版のあのケレン味――突然鳴り響くギターリフ、無駄に爆発する実験、内海刑事との漫才――を「これはこれでおいしい餌ですね」と咀嚼できるまでに飼い慣らされていた。

「時系列」という名の罠と、不在のご主人様

私の忠誠心は並大抵のものではない。原作という聖典を読破し、テレビシリーズ1期・2期という教義もすべて頭に叩き込んだ。完全に「ガリレオ脳」に仕上がった私は、極めて行儀の良い犬として、次に提示された皿に向かった。

『ガリレオXX内海薫最後の事件』

ご主人様(制作サイド)は言った。「次はこれだ。時系列順に見るのが正しいファンのあり方だ」と。私は尻尾を千切れんばかりに振って、その皿に顔を突っ込んだ。さあ、来い。不可解な謎を。変人ガリレオによる物理学的罵倒を。私の大好きな「実におもしろい」を!

……しかし、皿の中身は空気だった。

食べて見ると、味はした。だがそれは、いつもの刺激的なスパイスの効いた料理ではなく、どこかのスーパーで半額シールが貼られた惣菜のような、妙に湿っぽい「ただの刑事ドラマ」の味だった。

湯川先生がいない。トリックもない。あるのは、組織に翻弄される内海刑事の汗と涙だけ。

私は混乱した。看板には「ガリレオ」と書いてある。しかし、成分表示を見ると「ガリレオ成分0%」なのだ。これは新手の実験だろうか?「物理学者が不在の状態で、パブロフの犬はどれだけガリレオ的な幻覚を見ることができるか」という、心理学的なテストなのだろうか?

本来ならここで噛みつくべきだったのかもしれない。「看板に偽りありだ!」と。しかし、飼い慣らされた私は「まあ、たまにはこういう薄味のドッグフードも健康にいいのかもしれない」と、無理やり自分を納得させ、完食してしまった。全く美味しくはなかった。

完璧な布陣と、犬の皮算用

『ガリレオXX』という名の、味のしない発泡スチロールの欠片を口の周りにこびり付けたまま、それでも私が次の『容疑者Xの献身』へと尻尾を振って進んだのには、ワケがある。

私はただの食い意地の張った犬ではない。学習する犬だ。再生ボタンを押す前に、私はネットという名の広大な草原で、慎重に「匂い」を嗅ぎ分けた。リサーチである。

そこには、私の鼻腔をくすぐる極上の情報が並んでいた。

まず、ご主人様(湯川)がちゃんとメイン張っている。よし。次に、第2期で私の胃袋をキリキリと締め上げた「あの独特なキャンキャン声の女性刑事(岸谷)」がいない。これもよし。アレルギー物質の除去は、快適な食事の基本だ。

そして何より、草薙だ。原作という聖書における真の主人公でありながら、テレビという異教の地では「いなかったこと」にされかけていた、あの草薙刑事が活躍するというではないか!これは事件だ。ついに歴史が修正され、正統なる福音がもたらされるのだ。

さらにダメ押しとばかりに、世間の評価は異常なまでに高い。
「最高傑作」
「涙なしには見られない」
「ミステリーの金字塔」
どこを見ても、星の数が満天である。

間違いない。これだ。これまでの改変やスピンオフの虚無は、すべてこの極上のメインディッシュをより美味しく味わうための、あえての「焦らし」だったのだ。完璧な布陣だ。勝った。私は勝利を確信し、意気揚々と再生ボタンを押した。

その先に極寒の雪山が待ち構えているとも知らずに

そう、だからこそ私は映画『容疑者Xの献身』を見たのだ。当然、もっとすごい餌が出てくると思ったからだ。スクリーンいっぱいに数式が乱舞し、湯川先生が成層圏からレーザーでも撃ち込むような、そんな馬鹿馬鹿しくも愛おしい物理無双を期待して。

しかし、待てど暮らせど、その「いつもの餌」は出てこなかった。

あの小気味よいロックなBGMは鳴り響かない。湯川先生が何かに閃いて、辺り構わず数式を書き殴るあの爽快な儀式も始まらない。あるのは、重苦しい沈黙と、愛だの罪だのといった湿度100%の人間ドラマだけ。私が求めていた「カラッとした論理」は、そこには微塵もなかった。

そして、物理成分の欠乏で禁断症状が出始めた私の目に、追い打ちをかけるように飛び込んできたのが、あの「雪山」だった。

なぜか登っていた。 湯川と石神が。 雪山を。

私は画面の前で「ワン?」と首をかしげた。原作に雪山などない。物理学的必然性もない。あるのは、「ここで尺を稼ぎつつ、雪山を登らせれば、なんとなく男二人の友情と対立が絵になるだろう」という、製作陣のぬらりとした欲望だけだ。

スクリーンの中では、天才数学者と天才物理学者がハァハァと息を切らしている。スクリーンの外では、観客たちが「泣けるわぁ」とハンカチを濡らしている(多分)。

私は取り残された。私の愛した論理は?  カタルシスは?  無駄に派手な装置は?  それら全てを剥奪され、代わりに差し出されたのが、この長くて寒い登山とストーカー……いや、「献身」という名の粘着質な愛の物語でしかなかった。

このままでは凍死してしまう。私は冷え切った体を温めるべく、情報を検索した。どうやら『ガリレオ禁断の魔術』というスペシャルドラマがあるらしい。そこには私の求めた「湯川と草薙」「科学技術と事件」があるという。

よし、それだ。口直しだ。私の愛したガリレオはそこにいる。

私は震える手でリモコンを操作した。しかし、そこに立ちはだかったのは、またしても巨大な壁だった。

「FOD独占配信」

……FOD。それは選ばれし者(月額会員)のみが通過を許される赤きゲート。AmazonプライムとNetflixの住人でしかない私は、ここでもまた「入店お断り」の札を突きつけられたのだ。

「見たければ、我らフジテレビ帝国に貢物を捧げよ」

そう言われている気がした。私はそっとモニターを消した。

私は理解した。私は、東野圭吾ファンでありながら、ガリレオシリーズを楽しんできたつもりでありながら、いつの間にかこの巨大なエンターテインメント産業のベルトコンベアから、「規格外品」として弾き出されていたのだ。

世間では「泣ける名作」と絶賛されている横で、「雪山の意味がわからない」とブツブツ呟き、FODの入り口で小銭を握りしめて立ち尽くす中年。

それが私だ。誰も悪くない。ただ、私が「愛」よりも「論理」を、「雪山」よりも「実験室」を愛してしまった、悲しきモンスターだったというだけの話なのだ。

今夜は枕を濡らして寝ようと思う。もちろん、感動の涙なんかじゃない。悔し涙という名の、塩分濃度の高い液体で。

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