ソロ活動という選択。バンドを組まない音楽家の本音と葛藤

楽器に囲まれた部屋で思うこと

部屋を見渡す。
和太鼓、ドラム、タップシューズ、ギター、ベース。スティックケースには太鼓やドラム用のものも無造作に突っ込まれている。まるで方向性の定まらない小さな楽器店みたいだ。

人から「色々な楽器をやっててすごいですね」と言われることがある。
そのたびにわたしは曖昧に笑う。

全っ然すごくないです。

ただ色んなものから逃げ続けた結果、いつのまにかこうなってしまっただけなのだ。

ソロ活動を選んだ理由

ここ数年のわたしの音楽活動は、もっぱらソロ活動がほとんどだ。
そしてわたしは弾き語りをしない。カラオケもしない。歌唱属性がゼロなのだ。
やることといえば、一人でステージに立ち、タップダンスをしたり、和太鼓を叩いたり、何もない所から棒を出現させてみたりといった、状態異常攻撃はできるけど物理攻撃力はゼロのシーフみたいな属性しかない。

バンドを組まない本当の理由

なぜ普通にバンドを組まないのか。
「様々な楽器の可能性を一人で追求したいから」
……というのは、雑誌のインタビューで答える用の、建前の美しい模範解答だ。一度も、そんなインタビューを受けたことはないけれど。

本当の理由はもっと単純で情けない。

人間関係がひたすらに面倒くさいから。

「次の練習いつにする?」という、地獄の日程調整。
「このBメロ、もっとこうじゃない?」という、終わりなき音楽性の衝突。
「ライブのノルマ、どうしようか」という、生々しい金銭問題。
これらの一つ一つが、わたしの精神を極細の紙ヤスリでじわじわと、しかし確実に削っていく。

だから、固定メンバーで何年も活動しているバンドを見ると、心からの尊敬しかない。
彼らはどうやっているのだろう。その結束力はもはや接着剤の強度を超えて、分子レベルで結合しているとしか思えない。わたしには到底無理だ。

理想と現実のギャップ

もちろん、明確な演出家がいて、メンバーがその駒に徹する演劇カンパニーのような団体なら話は別だ。目的が一つでトップダウンで物事が決まる。そこには、面倒な「空気の読み合い」や「根回し」といったウェットな作業は発生しにくい。
しかし世の中の多くのバンドは、もっとこう民主的で自由で、それゆえに複雑なのだ。

誤解されることへの不安

……と、ここまで書いて、わたしは急に猛烈な不安に駆られる。

これは決して、バンドで活動している人たちを否定しているわけではない。
微塵もそんなつもりはないのだ。バンドは素晴らしい。エキサイティングで、一人では決して見ることのできない景色を見せてくれる。わたしが言いたいのはそういうことじゃない。

全てはわたし自身の問題なのだ。
わたしという部品が、バンドという名のどんな精密機械にもうまくハマらない、ただの規格外の不良品である、というだけの話。

だからバンドマンの皆さま、どうか誤解なされぬよう。石を投げないでください。お願いします。

規格外の部品として生きる

ほら。
ほら、もう、こういう思考がめんどくさい。

誤解を恐れて予防線を張り巡らせ、結局何が言いたいのか自分でも分からなくなり、最終的に「わたしの協調性の無さがここに極まれり」という、身も蓋もない結論にしかたどり着けない。

だからソロでやるしかないのだ。
わたしという、この上なく面倒くさい人間をたった一人で御していくしかない。

せっちー株式会社の代表取締役兼、唯一の平社員として、すべての決定権とすべての責任、そしてすべての楽屋弁当を独り占めするのだ。
これを夢と言わずして、なんと言おう。

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