本番で靴紐がほどけるのは妖怪のせい?「靴紐ほどけ丸」出現記録
開演直前、足元で起きた異変
「よし、いける」
そうつぶやきながら深呼吸し、タップシューズの先を軽くトントンと鳴らして、最後の確認……のはずだった。
ふと足元を見ると、靴紐が、ほどけていた。

えっ、さっききっちり結んだばかりじゃなかった?
しかも念のために二重結びにしたはず。いや、確実にした。
でも、今ここにあるのは、ゆるんだ輪っかが左右に伸びる、無防備な紐だった。
何度も確認したはずなのに、なぜこんなことに。
わたしは靴紐の結び方にはこだわってきた。
過去の失敗があったからこそ、タップシューズだけは信頼できるようにと、練習でも舞台でも、いつも丁寧に結んでいた。
楽屋で一度結び直した。けれど何か不安で、また結び直した。
それでも今、この瞬間にほどけている。
名前を与えて、現実から目をそらす
わたしは、ほんの少し息を吸って、誰にも聞こえない声でつぶやく。
「……靴紐ほどけ丸、今なのか?」
呆れと恐れと、自己弁護の入り混じった声。
自分のせいかもしれないという気持ちは、もちろんある。
でも今ここで「自分のせいでした」などと認める勇気は、正直ない。
本番直前にそんなこと思ったら、ステップも振り付けも全部崩れる。
だからこれは、現実逃避のひとつだ。
責任を妖怪に押しつけるという名の、即席メンタル保護策。
わかってる。でも、今だけはそれでいいことにする。
いや、むしろ今回は本当に妖怪の仕業だったのだ。
ステージに立つ、その一歩目で
幕が開く。
音楽が流れ、ステージに照明が照らされる。
身体が自然と動き出す。その直後。ほどけた紐を踏んづけた。
大きなミスじゃない。
よろけたのはほんの一瞬。客席で気づいた人はいなかったかもしれない。
でも、わたしの中では明確にわかる。「あの音はズレた」と。
指先から足の裏まで、すべてをチューニングしてきた身体が、わずかにブレたその瞬間。
それは、わたしだけが知っている悔しさだった。
師匠のまなざしが刺さるとき
ステージの隅に座っていた師匠の姿が視界に入った。
その瞬間、師匠と目が合った。(気がする)
言葉は何もない。ただ、静かな目線だけがこちらを見ている。
でもそのまなざしだけで、すべて伝わってくる。
「見えてたぞ」
ほどけ丸のしわざだと信じたくなる瞬間
ステージ上、お客さんの前ではなんとか笑顔をキープし続けた。袖に戻った瞬間、真顔に戻る。
感情が一気に流れ出す。
「ほどけるときは、ほどける」
「なぜか? ほどけ丸だから」
「すべてを受け入れたわたし、えらい」
ぐるぐると回る感情が、頭の中をぐしゃぐしゃにかき乱す。
妖怪“靴紐ほどけ丸”の正体とは?
靴紐ほどけ丸は、ただの悪戯妖怪じゃない。
この妖怪は、人間の「これでいける」という気持ちのタイミングを察知し、
わざわざ自信を結び目からほどいてくる。
特に、「本番」「勝負所」「自己表現」の場面でよく現れる。
そうして、完璧だったはずの準備を、たった一つのズレによって崩し、
自己肯定感をじわじわと削っていくのだ。
彼のやり口は、ほんとうにいやらしい。
けれど、「自分がダメだった」と思ってしまえば、それこそ妖怪の思うツボ。
それでも、また結び直す。
今日のステップは、やれた感は正直なかった。
師匠にもバレたし、自分でもわかってる。
でも、それでも明日もタップシューズを履く。
ステップを踏む。
また靴紐を結ぶ。
自分を守る主ルールという儀式
最近は、靴紐を結ぶ前に、謎のルールを勝手に設けている。
まず靴紐を引っ張りながら、心の中でこう唱える。
「これは“ほどけ防止モード”で結びました。ほどけたら無効です。返金はできません」
さらに、靴のつま先を左右交互にトントンと3回ずつ床に打ちつけ、
最後に、自分だけが決めた「結び強度チェックの合図」として、
わけもなく「ヨシッ」と言って立ち上がる。
……意味があるかと聞かれれば、ない。
でも、こうでもしないともう信じられないのだ。自分の結びも、靴紐も、そして妖怪も。
わたしの中では、わりと効いてる気がしている。
少なくとも、妖怪と自分を信じすぎない程度には。
