ナビアプリの奇妙な経路案内|ナビ子さんとの愛憎ドライブ劇場

スマホのマップアプリをカーナビとして利用している。
皆さんのスマホがどうかは知らないけれど、わたしのスマホには経路を音声で案内してくれるナビ子さんという小さい女の人が住んでいる。日本中のあらゆる道路を知り尽くし、一方通行や右折禁止の場所や、制限速度まで教えてくれる超人である。ナビ子さんはわたしの運転生活に欠かせない存在だ。

ただしこのナビ子さん、時々「なぜ?」と思うほど奇妙な経路を案内してくる。いつも通ってるあの大通りに出るだけなのに、なぜか狭い住宅地を何度も右左折させたりする。「あそこの公園の通りに出て交差点を一回曲がればよかったじゃん」と叫びたくなる場面があまりにも多い。

「その先、左方向デス」
「次の一時停止を右、その先を左ナナメ方向デス」

ナビ子さんの冷静な声がどこか悪意に満ちた迷路の案内人に思えてくる瞬間。右折ポイント収集ゲームにでも参加させられているのだろうか。それとも、わたしに知られざる近道の美学を叩き込もうとしているのか。でも結局は普通に、いつものあの見慣れた通りに出るのだ。これまでの右左折の連続は一体なんだったのだ。

うっかり「もういい加減にしてくれ」と実際に声を上げると、ナビ子さんはしれっと責任転嫁を始める。急に同僚のsiriさんを呼び出し、矢面に立たせたりするのだ。でもsiriさんもまた的外れな返答を返してくることが多い。

「siri、この経路、どう思う?」
「聞き取れマセン。もう一度お願いしマス」

絶妙なクレーム対応処理である。
この瞬間、siriとナビ子さんが結託してわたしを振り回しているように思えてならない。もしかして、ナビ子さんがこうした不可解な経路を案内する理由は、単なるストレス発散なのかもしれない。7年もの間、同じ端末に閉じ込められ、アップデートのたびに名前も変えてもらえず、ずっと働かされ続ける日々。そんな彼女の心の叫びが、この右折多めルートとしての抗議になっているのかもしれない。

だがわたしとナビ子さんの関係は、決して敵対的なものではない。
彼女の案内に従って目的地に到着したとき、わたしは感謝せざるを得ない。知らない街の知らない道、彼女の案内が無ければ絶対に辿り着くことなどできなかっただろう。あの右左折の迷路も、実は渋滞回避という彼女なりの配慮だったことに気づくこともあるからだ。そしてその時、ナビ子さんがほんの少しだけ誇らしげに見える気がする。「ね、これでよかったでしょ?」という上から目線の無言の圧。そしてドヤ顔。

でもその直後、次の経路案内が始まる。「あなたの感謝なんて興味ない」と言わんばかりの淡々とした声。それがまた若干癪に障るが、どこか愛おしい。

ナビ子さんとのドライブは、いつも愛憎の間を漂う。不可解な経路に苛立ちながらも、気づけば彼女の案内に骨の髄まで頼っている自分がいる。次の交差点でまた不思議な右折を指示される未来を想像しながら、それでもわたしはまたスマホをダッシュボードにセットするのだ。

「ナビ子さん、次はもうちょっと分かりやすい道でお願いしますよ」と呟きながら、わたしはまた新たな右折の冒険に出る。彼女の意図がわかるのは、いつだって目的地に到着した後なのだ。次の交差点でまた会いましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です