女装と和太鼓。その響きの奥に潜むもの
初めて女装で和太鼓を打ったとき、これは新たな地平だと思った。いや、別に真面目な意味じゃない。むしろ「あ、足首冷たいな」とか、「このプリーツ、動きづらっ!」とか、そっちの方がメインの感想だった。
しかし太鼓の音が鳴り響くたび、わたしは気づき始めた。このひらひらのスカートが、太鼓の振動に合わせて踊るたびに、何かこう、人間の奥深い部分、魂のビブラートみたいなものに触れているのではないかと。
「和太鼓は男らしい」「女装は女性らしい」という誰かが勝手に作った属性が、バチを握る私の手の中で音を立てて崩れていくのを感じた。考えてみれば、太鼓って昔からみんなのもので、性別なんて関係なかったんだよな。
周囲の反応は予想通りだった。
「え、なんで女装?」
「いや、なんで和太鼓?」
「その組み合わせ、どういう意味?」
意味なんてない。いや、あるかもしれないけど、正直に言えば、「どんな意味をつけてもいいんじゃない?」と思っている。「楽しそうだからやってみた」以上の理由はないし、それ以上の理由を求められると急にお腹が痛くなる。
太鼓を打ちながら、風にひらめくスカートと、一緒に揺れる観客の心を感じると、どこか遠い昔から続いている「自分じゃない自分」が、今ここに存在しているような気がした。
結論:女装と和太鼓は思いのほか相性がいい。誰でもいいからやってみてほしい。
注意点:髪飾りがずれるのが最大の敵。