理想のハンバーグを求めて。テリヤキソースの誓い
ファミリーレストランに行くと必ずハンバーグを頼む。子供の頃から変わらない習慣だ。あのジュワッと肉汁があふれる瞬間、ソースと一体化したハンバーグは人生における小さな幸せの象徴と呼べる。
だがある日、その幸せが突然崩れ去った。
「ソースはデミグラスと和風おろし、どちらになさいますか?」
店員さんのその言葉が、わたしの脳内で凍てつく嵐を呼び起こした。テリヤキソースがない。ないのだ!
「あれっ、テリヤキソースは?」と思わず聞いてしまった。店員さんは少し戸惑いながら、「当店では取り扱っておりません」と答える。その瞬間、わたしの心の中で何かが砕け散った。
いや、ちょっと待ってくれ。テリヤキソースがない? それはファミレスとして成立しているのか? ハンバーグにおけるソース選択は、食べる者にとって神聖不可侵な自由であるはずだ。
デミグラスは確かに王道だ。和風おろしもさっぱりしていて悪くはない。だが、テリヤキソースにはそれらでは埋められない唯一無二のポジションがある。甘辛いという絶妙なバランスが、白米を駆り立てる魔力を持つのだ。
店員さんは曖昧な笑みを浮かべるだけだった。その笑みは、テリヤキソースがこの世界から消え去ったかのようなわたしの絶望感をさらに煽った。
何がいけなかったのか。ファミレス文化の中で、なぜテリヤキソースは除外されたのか。これは差別ではないのか? デミグラス派と和風派が結託して、テリヤキを追放したのではないかとさえ思えてくる。
最終的にデミグラスを選んだが、食べている間中、常に「これじゃない感」がつきまとっていた。間違ってはいけないのが、デミグラスハンバーグは非常に美味しかったということ。でもそれはあくまで「デミグラスとして美味しい」のであって、「わたしが求めたテリヤキハンバーグ」ではなかったのだ。
もしテリヤキソースがメニューに復活しないのなら、わたしは自らの手で立ち上がりたい。
「全国テリヤキ推進委員会」を設立し、署名運動を開始するのだ。スーツケースに詰めたテリヤキソースを各地のファミレスに持ち込み、テリヤキ難民たちに配給することを誓おうではないか。
最終的な夢はこうだ。西暦2100年の未来、ファミレスにテリヤキソースが当たり前のように存在し、歴史の教科書にこう記される日が来るのを待つ――「かつてテリヤキソースがない時代がありました」と。
これが実現するその日まで、私はデミグラスを食べながら戦い続ける覚悟である。