進撃の巨人。Finalの無限遠点

「進撃の巨人」The Final Season 完結編(前編)。
いや、これを初めて目にしたときのわたしの反応は、一言、「どこがFinalなんだよ!」だった。Finalの後ろに付け足された「Season」「完結編」「前編」という三段重ねが、もはやFinal感を完全に吹き飛ばしている。これで本当に終わるのかという疑念すら、「まぁ、いいか」と消えていくこの感覚、好きだなぁ。

こうなったらこの際、徹底的にやってほしい。
例えばこんなタイトルはどうだろう。

「進撃の巨人」The Final Season 完結編(前編)序章 ~永遠(Forever)~ ネバーダイ the answer 外伝 寅次郎サラダ記念日

意味も構成も混乱の極みだけれど、もはやそれが進撃らしさだと言えるだろう。観客の頭上に「???」という巨人を出現させたら、それこそが進撃の巨人の真髄ではないだろうか。

そもそも「Final」とは何か。普通なら、「これで終わりですよ」と示すための合図だ。だが進撃の巨人はその概念を超越した。Finalがいくつにも分裂し、「Finalとは終わりではなく、無限の入口である」という新たな哲学を生み出したのだ。もはや「終わらないFinal」を体現するために、Finalが増殖し続けているのではないかという説も浮かんでくる。

ここまで来たらいっそ「Final Season 完結編(前編)」の後に「リターンズ」「リローデッド」「再生」「リバース」といった言葉をつけ足していけばいいと思う。そして最後には、こんなタイトルで締めるべきだ。

「進撃の巨人」The Final Season 完結編(前編)ネバーダイ~終わらない進撃が始まる ~ 完結篇リターンズ(序章)

そのとき、わたしたちは思うのだろう。「これで本当にFinalなのか?」と。そしてその問いこそが、巨人と戦い続けるエレンの葛藤にシンクロしているのだと気づくのだ。
今すげーうまいこと言った。

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