ピニャコラーダの響きとわたしの小さな革命

最近、どうにも「ピニャコラーダ」という単語の響きが頭から離れない。
「ピニャ」も「ニャコ」も、妙に面白い。なんだこのテンポの良さは。まるで異国の妖精が、ポンポンと肩を叩いてくるようなリズム感。「ピニャ!」と言われたら、「コラーダ!」と返したくなる衝動を抑えきれない。いや、返してどうするのかはわからないのだが。

この感覚、秩父を初めて耳にした時の「ちち」と「ちぶ」に対する微妙な照れ臭さに似ている。子供の頃、「ちち」という音を声に出すたび、何か悪いことをしているような気分になったのを覚えている。それに「ちぶ」が加わると、「もう、いっそ黙っていよう」と思わせる絶妙な羞恥感がある。

でも「ピニャコラーダ」は違う。
そこには羞恥ではなく、謎の躍動感と解放感がある。特に「ニャコ」の部分、これはもう反則だろう。なんだその猫っぽい音。猫要素があるだけでこんなに愛おしくなるのか?「ピニャ」も「コラーダ」も素晴らしいが、「ニャコ」に挟まれることで全体が絶妙に弾むのだ。

ピニャコラーダとは何か?
普通ならここで調べるところだが、わたしは知ろうとは思わない。
飲み物なのか、踊りなのか、はたまた革命のスローガンなのか。それはわたしにとって全く重要ではない。言葉の意味を知らないまま、その響きだけを楽しむ――それが、わたしとピニャコラーダの正しい距離感であるべきだと思うのだ。

日常生活で「ピニャコラーダ」と言う機会があれば迷わず口に出すことに決めた。「ピニャ!」とだけ言ってもいいし、「コラーダ!」までセットで言うのも良い。相手が怪訝な顔をしても構わない。なぜなら、その瞬間、わたしの中の「ニャコ」が踊っているのだから。

ピニャコラーダよ、その響きだけでわたしを救ってくれてありがとう。そして、いつかもしその正体を知ってしまったとしても、この音の魔力だけは変わらず楽しみたいと思う。

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