カバンの底から発掘された龍角散。高級ビスケットに対する罪悪感

カバンの中を漁っていたら、ひょっこり出てきた個別包装のビスケット。
「ああ、これ…!」と思い出がよぎる。あの時、友人が「これ食べてみて」と言いながら渡してくれたやつだ。せっかくわたしのために選んで買ってくれたのに、その存在を忘れてカバンの底に放置していたなんて。

手のひらに収められたビスケットは、包装越しに見る限りでも悲惨な状態だった。元々はサクサクでバターの香りが芳醇な高級品(想像)だったはずが、袋の中で粉々になり、もはやビスケットとは呼べない。これはもう龍角散だ。

「せっかくもらったものなのに!」
じわじわと胸に湧き上がる申し訳なさと、自分のアホさ加減へのガッカリ感。あの友人は、わたしがこれをサクッと美味しく食べて喜ぶ姿を期待していたに違いない。それをカバンの底の住人にしてしまうとは。友よ、ビスケットよ、ごめん…。

しかしここで問題が一つ。この龍角散をどうするべきか?
もちろんこのまま頓服する勇気はない。いや、食べたらきっと美味しいのだろうけれど、粉を舐めるように食べる自分を想像すると、どうしても罪悪感が勝ってしまうのだ。

カバンの底で粉末と化した高級ビスケットは、もはやただの食べ物ではなく「わたしのだらしなさを可視化した存在」になってしまった。元のビスケットとしての美しい姿を思い描くほどに、それを粉として摂取する気にはならない。だが、このまま捨てるのも忍びない。カバンの底で眠らせたままにするのもまた罪である。

次回から個別包装の食べ物をもらったら、その場ですぐに食べることにしよう。そして、もしこの龍角散を救済するとしたら、ヨーグルトに混ぜてみるのはアリかもしれない。それなら「ビスケットを完食した」という事実だけは残せる。

だがこの瞬間も私の中で何かが囁いている。「もう、供養した方がいいんじゃないか」と。袋をそっと閉じ、元のカバンの底に戻す――それもまた、ひとつの愛かもしれない。ビスケットよ、短い間だったけれど、ありがとう。

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