赤ちゃんスマイルとヘン顔の美学。悔いなき生涯の一瞬

電車の中、お母さんに抱かれた赤ちゃんと目が合った。
赤ちゃんの目はキラキラと輝き、まるで「あなたは何者ですか?」と問うているようだった。その無垢な問いに答えられる言葉を持ち合わせていなかった私は、とっさに全力の笑顔を送った。これが私の持つ唯一の武器だったのだ。

すると、赤ちゃんもニコッと笑顔を返してくれた。
その瞬間、電車内の全ての騒音が消え、時間が止まったように感じた。いや、むしろ「私の人生の全てがこの一瞬のためにあったのだ」と確信した。「わが生涯に一片の悔いなし!」と、心の中で拳を突き上げる。

だが、その直後、お母さんが一言。「ヘン顔お上手ですね~、ありがとうございます。」

「……ヘン顔?」

赤ちゃんとの心の交流だと思っていたこの行為が、第三者的にはヘン顔というカテゴリに分類されていた? お母さんは赤ちゃんが喜んだことへの感謝を込めてくれている。だが、ヘン顔――それは自分の中で全力の笑顔と認識していたものが、思わぬ形で評価された事実を突きつける言葉だった。


赤ちゃんの笑顔を引き出せたことは、紛れもなく人生のハイライトといっていい。だが、その手段が「ヘン顔」と評されることで、喜びと少しの困惑が入り混じる結果となった。とはいえ、赤ちゃんが笑顔になった時点で勝ちである。いや、むしろ負けてもいい。この一瞬のためなら。

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