電車内のダンディズム。足を組むフランス皇帝、その不屈のリズム
電車で向かいの席に座るダンディーなおじさま。
革靴はピカピカ、スーツは隙がなく、ガシッと腕を組んだ上半身からは「予の辞書に不可能という言葉はない」とでも言いたげな堂々たる威風が漂っている。もし彼が電車ではなく戦場にいたら、きっとフランス皇帝として軍を率いているだろう。だが、今彼が繰り広げているのは、電車という戦場での小さな攻防だった。
足を組んで寝落ちするおじさま。
その姿は完璧なまでのダンディズムを体現している。だが、数分後――ふいにバランスを崩し、足がずり落ちた瞬間、彼は目を覚ます。覚醒の際の表情も実にクールで、「別に寝てたわけじゃないよ?」とでも言いたげだ。
しかし、その後すぐに足を組み直し、再び寝落ちする。そしてまた足がずり落ち、覚醒。そしてまた足を組み直し…その繰り返し。
なんだ、このリズム。
これは彼なりの自己表現なのか? それとも無意識のうちに生まれた、彼の人生そのものを象徴するルーティーンなのか? 見ているだけで、まるで時計の針が刻むような規則正しさを感じる。あるいは、それは彼が支配する時間の流れそのものかもしれない。
おじさまの一連の動きには不思議な説得力がある。足をずり落とすたびに訪れる覚醒は、まるで「人生においてどれだけバランスを崩しても、すぐに立て直せばいいのだ」というメッセージのようだ。そしてその堂々たる上半身からは、「たとえ足が崩れても、私は常に皇帝だ」という宣言が放たれている。
このおじさまが繰り広げる無限ループを鑑賞しながら、わたしも電車内で何かを極めてみようと思った。例えば、「つり革を持つ最適な角度」とか、「スマホを落とさず片手で操作する方法」とか。そんな小さなダンディズムを追い求めてみたい。
それにしても、このおじさまがフランス皇帝だったら、ナポレオンの辞書には「敗北」の二文字が刻まれていたのではないかと思う。だが、このおじさまの辞書には、確かにこう刻まれている。「たとえ足がずり落ちても、それを繰り返す美学がある」と。