ハンバーグ衝動と喪失感。己の欲望を迷子にして
「ハンバーグが食べたい!」
この衝動は突然やってくる。理屈も予兆もない。ただ純粋な欲求が、胃袋の奥から喉元まで駆け上がってくるのだ。その声に抗う術はなく、わたしは一目散にハンバーグ・ステーキ専門店へと駆け込んだ。
お店に入りメニューを開く。「これだ!この中にわたしを救う答えがある!」と胸を高鳴らせてページをめくると、目に飛び込んできたのは、燦然と輝く文字――「日替わりランチ750円」。
内容はチキンステーキ&豚生姜焼き。価格の隣には「ボリューム満点!」の文字。付け合わせのパスタ、ブロッコリー、ポテトフライがタレに絡みテラテラと光っている。頭の中の電卓が瞬時に働き、コスパの計算を弾き出す。「これはお得だ…!」
ほとんど迷わず注文ボタンを押していた。そして運ばれてきた鉄板ランチプレート。熱々で香ばしいチキン、甘辛いタレが絡む豚生姜焼き、そしてたっぷりのご飯。口に運ぶたびに幸福感が広がる。
「ああ、これはいい。これ以上の正しい選択はなかった」
食欲が完璧に満たされ、満足感に浸りながら店を後にする――その瞬間、不意に心の奥で声が聞こえた。
「おい、ハンバーグはどうした?」
ハンバーグを求めて足を運んだはずなのに、気づけばチキンステーキと豚生姜焼きに全てを捧げていた。初期衝動はコスパの魔力の前に跡形もなく消え去ったのか。そして胃袋が満たされた今、ハンバーグを裏切った罪悪感が胸にじわじわと染み込んでくる。
「いや、これで良かったんだ」と何度も自分に言い聞かせる。しかし心の中のハンバーグが「お前、俺を呼んだんじゃなかったのか」と呟いている気がしてならない。わたしはその声に、ひたすら黙っていることしかできなかった。店頭には『ハンバーグ・ステーキ専門店』という大きな看板が掲げられている。その「ハンバーグ」の文字から可能な限り目を逸らしつつその場を後にした。
次回、ハンバーグ衝動に突き動かされた際は、安易な「お得」に惑わされないため、事前にこう誓うべきだ。「ハンバーグ以外の誘惑には屈しない」と。だがその誓いを守れる自信はまるでない。きっとまた「お得」に目がくらみ、別のメニューを選ぶだろう。そしてそのたびに、自分のアホさ加減に脱力しながら帰路につくに違いない。
ハンバーグが食べたいという初期衝動――それは永遠に彷徨う霊のような存在だ。存在を見ることはできないが、そこに居るような気がする。その声に耳を傾けつつ、次こそは、いや、たぶんまた負けるだろうけれど、いつかそのときまで待っていてほしい。ハンバーグよ。