ハンディ扇風機と去年の私。手のひら返しの風が吹く

去年の夏、街でハンディ扇風機を片手に涼しげに歩く女性たちを見かけるたび、密かにこう思っていた。「ふん、そんなに涼しい顔してオシャレアピールですか。扇風機持ちながら街を闊歩するのがそんなにご自慢ですか!」と。完全に理不尽な言いがかりだったといっていい。

いや、わかっている。彼女たちはただ暑さを凌いでいただけだ。でもわたしの歪んだ心にはそれが「私は涼しいし、なんなら人生も涼しいんです」という無言のマウントに感じられたのだ。そして敵愾心を拗らせ、「けっ、そんなものに頼ってたまるかよ!」と、汗だくになりながら意地を張り続けた。

だが、時は流れ、人は変わる。先日、友人に「一度使ってみなよ」とハンディ扇風機を薦められ、何気なく購入した。正直、半信半疑だった。「まあ、一応試してみるか」と、鼻で笑いながら軽い気持ちで電源を入れた。そして――風が吹いた。

「涼しい…なんだこれ、めっちゃ涼しいじゃないか!」

あの小さな羽根が生み出す風の心地よさに、瞬時に陥落。顔に当たる風、首筋を撫でる風、その全てが完璧だった。去年のわたしが見たら、きっとこう言うだろう。「おい、それはダサいだろ」と。だが、今のわたしは涼しい風に包まれながらこう答える。「君にはこの快適さがわからないんだ」と。

ハンディ扇風機は単なるオシャレアイテムではなく、現代文明が生んだ奇跡の一つである。間違いない。その便利さに気づかず、あの時蔑むような目で見ていた自分を全力で殴りたい気分だ。

この夏、私はハンディ扇風機を片手に堂々と街を歩くことにした。そして、去年の自分のように斜に構えている人を見つけたら、こう言うのだ。「いいかい、これを使えば人生が変わる。否、風が変わるんだよ」と。

ただし、その風が去年のわたしに吹くことは決して許されない。去年のわたしには、この快適さを知る資格はない。今年のわたしが全てを独占するからだ。そう、ハンディ扇風機は、今のわたしにこそふさわしいのだ。これはれっきとしたマウントである。

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