朝の小さな存在が語る、飲み忘れと記憶の話
きょうも、たぶん呼ばれる
朝はだいたい似ている。
明るくなって、しばらくすると気配が近づいてくる。私も仲間たちも、まったく同じ顔をして並んでいるので、相手がどれを選んでも大差ないのだが、それでもそのたび、今日は自分の番だろうかと思う。毎日ほとんど同じなのに、そこだけ少し運任せなのが妙だ。こちらとしては、呼ばれれば静かに務めを果たすだけなのだが、相手には相手の事情があるらしい。
たまに、はっきりしない日がある。
いったん用は済んだような気もするのに、また気配が戻ってくる。あれ、さっきも会わなかったっけ、という感じで。人間の記憶というのは、案外あやふやだ。もっと堂々と生きているものかと思っていたけれど、実際は「たしか」「おそらく」「いや、どうだったか」でできているらしい。ずいぶん頼りない設計だ。
二度目の気配
相手は不安になるのだろう。
自分がやったかどうか分からない。分からないなら、もう一度やっておこう。気持ちは分かる。分かるが、こちらにも少しばかり都合がある。役目を終えたはずなのにまた呼ばれるのは、例えるなら、蓋を閉められたあとにもう一度ひらかれるような感じだ。終わったのか、続くのか、自分でも少し分からなくなってしまう。
しかも厄介なのは、その不安が長続きしないことだ。
さっきまであんなに気にしていたのに、水をひと口飲んで、別のことを考え始める。そのひと口は、こちらにとって出発の合図のようなものなのに、向こうはもうそのことを忘れている。天気とか、洗濯とか、返信していないメッセージとか。こちらの一大事は、向こうでは数分で流れていく。人の頭の中には、回転寿司のレーンのように次の話題が来るのだろう。ひと皿ぶんの緊張は、すぐ別の皿に押しやられてしまう。
すぐに過ぎていくこと
私はそのたび、少しだけ考える。
自分はちゃんと役に立てているのか。あるいは、余計に出しゃばっていないか。一度でいいはずの場面で二度呼ばれると、自分の立ち位置が急にあやしくなる。選ばれるのを待っているくせに、選ばれすぎると居心地が悪い。たいへん面倒くさい性格だと思う。もっとどっしり構えていればいいのだが、こうして日々きちんと数えられる側にいると、どうにも自意識が育ってしまう。
けれど相手は、そんなことはすぐ忘れる。
忘れて、いつもの一日へ戻っていく。机の上を片づけたり、靴下を左右まちがえたり、昼には昼のことで忙しくなったりする。私のことを深刻に覚えていないところが、少し薄情で、少し救いでもある。別に深刻にならなくていいものだから、それで正しいのだが。気にして、迷って、とりあえずもう一度手を伸ばして、その出来事ごと置いていく。その軽さで、人はなんとか前へ進むのだと思う。
明るくなるころ
そうして翌朝になると、また同じように明るくなる。
向こうから手が伸び、境目がひらき、内側の並びが少しだけ崩れる。昨日のことを相手はたぶん覚えてない。私のほうも、もう責める気はない。呼ばれれば行くし、呼ばれなければ待つ。それだけだ。
ただ、もし二度目だったとしても、あまり大ごとみたいな顔はしないでほしい。
こちらも毎朝、整列の末席で、そこそこの覚悟をしているので。
ふたの裏でかすかに鳴る音を聞きながら、私は今日も、うっかり二度目に選ばれうる顔で、いつもの場所でころがっている。
