久米川に着いた時点では、まだ世界は静かでした
『この地球(ほし)の片隅で #14』
久米川 太陽と月灯りに、参戦させていただきました。
会場に向かう時点では、まだ世界は比較的おとなしかったです。
駅前には駅前の空気があり、道には道の顔があり、冬の夕方はちゃんと冬の夕方をしていました。
つまり、社会はまだ通常運転でした。
でも、こちらの内側は通常運転ではありません。
そもそも告知の段階で「わたしなんか出て大丈夫ですか」と思っていたのですから、当日になって急に肝が据わるわけもありません。
人間はそんな便利に進化していません。少なくとも私はしていません。
ただ、会場に入ると不思議と覚悟だけは決まっていきます。
今日はもう、この夜の一部としてそこにいるしかない。
逃げるにしても不自然ですし、なにより、逃げたあとで絶対に後悔します。
なので腹をくくりました。小動物なりに。
始まってみたら、静かだったのはわたしだけでした
いざ始まってみると、やはりとんでもない夜でした。
尊敬する方々の演目が、次々に、容赦なく、でもそれぞれ全然ちがう角度から飛んできます。
笑いました。かなり笑いました。
いや、「かなり」では足りないかもしれません。
体感としては、年間降水量を超える勢いで笑い転げていた気がします。
この比喩は少し大きすぎる気もしますが、会場にいた方なら、そこまで大げさでもないと思っていただけるのではないでしょうか。
少なくとも私の中では、雨雲どころか前線が停滞していました。笑いの。
一組ごとに、表現のかたちも、空気の作り方も、見せ方も違います。
「次はこう来るかな」と予想しても、だいたい外れます。
そして外れたことがうれしい。
エンタメにおいて、予想が外れるのはご褒美なのだなと、あらためて思いました。
バラバラなのに全員すごい、という説明不能な夜
この日の出演者のみなさんは、本当にジャンルも方向性もバラバラでした。
バラバラ、という言い方だと少し雑ですが、雑にしか言えない種類の豊かさがあります。
同じ棚に入れようとすると棚が困る、という感じです。
木材が軋みます。
店員さんも「これは雑貨……ではないですね」と言い始めそうです。
そういう、分類へのささやかな反抗が、全員の表現の中にありました。
でも、バラバラなのに、全員がちゃんとエンタメの極致に向かっていた。
そこが本当にすごかったです。
方法は違うのに、到達点の熱量だけが異様に揃っている夜でした。
こういう場にいると、自分の中の「表現ってこういうもの」という考えが、少しずつずれていきます。
良い意味で、です。
ネジが一本抜けるというより、締める位置そのものを見直させられる感じです。
今まで正面だと思っていた方向が、実は少し斜めだったのかもしれない、と。
あの夜、宇宙の片隅では確かに何かが爆発していました
終わってみて思うのは、あの夜はただのライブではなかった、ということです。
ありふれた言い方を避けようとしているのではなく、本当に、ちょっと説明が追いつかないのです。
この夜、宇宙の片隅で確実に超新星爆発が起きていた。
わたしはかなり本気でそう思っています。
もちろん、天文学的な意味ではありません。
久米川の夜空に突然巨大な星が生まれたわけではないですし、観測所に報告が必要な話でもないです。
でも、感覚としてはそれに近いものがありました。
強烈に光って、見た人の中に焼きついて、しばらく消えない。そういう種類の爆発です。
あの場にいたみなさま、配信で見届けてくださったみなさま、そしてご一緒させていただいた出演者のみなさま、本当にありがとうございました。
すごい人たちに囲まれて、圧倒されて、笑って、刺激を受けて、少しだけ自分の輪郭も変わった気がします。
こういう夜があるから、ライブというものは油断できません。
そして油断できないから、やめられないのだと思います。
『この地球(ほし)の片隅で #14』、参加できて本当に光栄でした。
また思い出したころに、じわじわ効いてくる夜になる気がしています。
たぶん数日後、歯を磨いているときとかに、急に「あれ、すごかったな……」と反芻するやつです。
そういう夜でした。

