バイオリンを、改造する前提で買った

バイオリンを買った。改造する前提で。
普通、楽器というものは買ったらまず弾くのだと思う。少なくとも、箱を開けて「おおぅ」とか言い、弓を持ち、何らかの音を出してみる。それが人として自然な順序だろう。
わたしの場合は違った。買う前から「届いたら改造する」と決めてた。
まだ一口も食べていない料理に、先に調味料を足す気でいるようなものだ。我ながら少し怖い。でもそうする理由があった。
バイオリンが難しい楽器であることは、買う前から知っていた。
まず、フレットがない。
ギターなら「ここを押さえるとこの音が出ます」という金属の区切りがある。バイオリンにはない。黒くて長い指板だけがあり、そのどこかに正しい音程が潜んでいる。場所は教えない。
かなり強気だ。
さらに、弦を調律するペグというものがある。これもなかなかすごい。木の棒を穴に差し込み、摩擦だけで留めている。
少し回すと大きく動く。動かないと思って力を入れると、今度はもっと大きく動く。ネジではないので、こちらが止めたい位置で素直に止まってくれるわけでもない。17世紀の技術だ。
17世紀。
徳川家光とかがいた時代だ。
もちろん、昔の技術だから悪いという話ではない。バイオリンはその仕組みのまま何百年も演奏されてきたわけで、そこには当然、積み重ねられた合理性があるのだと思う。
とはいえ、令和の初心者としては、もう少しこちらに寄ってきてもらってもいいんじゃないか、とは思う。
しかも、ドレミファソラシドを普通に弾けるようになるまで2年かかる、という話まで目にした。
2年。
ドレミだ。協奏曲とかじゃない。ただのドレミファソラシドだ。
小学校なら先生が黒板に書いている途中で、だいたい全員知っているやつ。それをバイオリンでは、場合によっては年単位で取りに行く。
どこかの山奥にしか生えていない薬草みたいだ。
わたしは修行がしたいわけではない
歴史ある楽器だから、続けた人には得るものが大きいのだと思う。
フレットがないからこそ自由な音程を作れる。ペグにも慣れれば意味があるのだろう。長く続けた人にしか分からない身体感覚や面白さも、当然あるはずだ。
でも、その一方で妙なことを考えた。
これだけ入口のハードルが高ければ、途中でやめる人もかなり多いのではないか。
そして、バイオリンについて語るのは当然ながら、バイオリンを継続した人たちだ。やめた人はいなくなる。
「これは初心者には難しすぎないか」と思った人が十人いて、そのうち九人が去り、一人だけが乗り越えたとする。
数年後、その一人が言う。
「バイオリンとはこういうものである」
九人はいない。ちょっと怖い。
実際にどの程度そうなのかは知らない。少なくとも構造としてはかなり生存者バイアスが入りやすい世界に見えた。
難しさを乗り越えた人だけが残り、その人たちによって「この難しさも含めてバイオリンなのだ」という常識が更新されていく。
いや、そうかもしれない。
そうかもしれないけれど、わたしは演奏がしたいのであって、修行がしたいわけじゃないのだ。
ここはかなり重要だ。
バイオリンという楽器の伝統を正しく継承したいわけでも、何年もかけて難関を突破した達成感が欲しいわけでもない。
曲を弾きたい。できれば早めに。
ずいぶん身勝手な客だ。
そこで、自分が楽器に全部合わせるのではなく、楽器の側にも少しこちらへ来てもらうことにした。
こちらも歩く。だからそちらも二、三歩くらい来てほしい。そういう交渉。
一度も弾かずに改造へ出した
買う前から、やることは決めていた。
まずペグを、木の摩擦に支配されたものから、ファインチューニング機能付きのものに交換する。
それから「フィドルフレッター」という、フレット代わりの補助具をつける。
本職のバイオリン奏者から見れば、言語道断な発想かもしれない。
楽器に自分を合わせていくからこそ身につくものがある、と言われれば、その通りなのだと思う。
誰にもまだ怒られていないのに、脳内ではすでに何人かの架空のバイオリン教師が腕組みしていた。
「バイオリンってそういうことじゃないですよ」
とか言ってる。
知らん。
こっちはまだ一音も弾いていないのだし。
そして、バイオリンが届いた翌日。
箱を開けた新品の楽器を眺め、「おおぅ」と声を発し、そのままクロサワバイオリンに改造へ送り出した。
楽器からすると相当不安だったと思う。
せめて一回くらい弾いてくれ、と思ったかもしれない。
しかし順番としては、自分の中ではこれでよかった。
まず演奏する。ではなく、
まず演奏できる状態にする。
そのあと演奏する。
その翌日、フレット付きバイオリンを知った
その翌日くらいだったと思う。エルデ楽器さんの存在を知った。
フレット付きバイオリンを作っている工房だった。サイトに書かれているコンセプトを読んで、思わず声が出た。
わたしが自分なりに考えていたことと、かなり近かったからだ。修行になりがちなバイオリンを、楽器そのものに手を入れることで、もっと楽しめるものにする。
自分が「ペグを替えて、フレット代わりのものを付けたらいいんじゃないか」と考えていたことを、もっと先まで考え、本気で手を動かし、すでに製品として成立させている人たちがいた。
同じ問題意識で、もっと本気で手を動かしている人たちがいた。
これは嬉しかった。
同時に、ちょっとだけ妙な気分でもあった。
こちらが昨日、木の棒を拾って「槍というものを発明した」と喜んでいたら、丘の向こうに兵器工場が建っていた、みたいな感じ。
でも敗北感より、安心のほうが大きかった。自分の考えていたことは、少なくとも完全に的外れではなかったらしい。
そして即、ワークショップに申し込んだ。
こういうときだけ判断が早い。
普段はスーパーで豆腐を買うだけでも木綿か絹かで少し考えるのに、こういうときはほぼ反射だ。
人生初のバイオリンで、いきなり一曲弾けた
そして先日、そのワークショップに参加。そこでフレット付きバイオリンを弾いた。人生で初めてのバイオリン。
結果から言うと、いきなり一曲弾けてしまった。もちろん、すごく上手に弾けたという意味ではない。
人生初日だ。そこまで図々しくはない。でも曲になった。
押さえる場所のナビゲートがある。そこを押さえる。すると、その音が出る。
ものすごーく当たり前のことを書いている気がする。
でも、その当たり前が用意されているだけで、初対面の楽器との時間がまったく違うものになる。
「正しい音はどこだ」と指板の上を探し回るのではなく、最初から曲を弾くことに集中できる。
楽器との初対面が、「練習の準備」ではなく「音楽をする時間」になる。
これは大きい。
楽器の側に手を入れる、という選択は間違っていなかった。
買う前に考えていたことが、ここでかなり露骨に実証された。仮説が当たった、と言っていいと思う。
「ほらな」
と少し思った。
誰に対してなのかは分からない。たぶん、さっき腕組みしていた脳内の先生だ。

そして、バンドに混ぜてもらった
話はここで終わらない。
つい先日、今度はバンドの練習にバイオリンで混ぜてもらった。
始めたばかりのバイオリンでバンド演奏に混ざりたい、と言ったのだ。
自分でも無茶を言っているなと思う。教習所に二日通った人が「今度ラリーに出てもいいですか」と言うのに少し近い。
ところが、メンバーの皆さんは止めなかった。それどころか、
「いいじゃん、やろうよ」
と迎え入れてくれた。
バファリンが裸足で逃げ出すくらいの優しさだ。成分表は見ていない。
実際、どのくらいうまく弾けていたかについては、まあ、ご想像にお任せします。人には触れないことで守られるものがある。
録音・録画という文明も、この件に関しては少し遠くにいてほしいくらいだ。
でも、あの場に自分の音があった。
ピアノやベースの音が鳴っている中に、自分のバイオリンの音も混ざっていた。
それを誰かに止められることもなく、普通に受け入れてもらえた。そのことが、とにかく嬉しかった。上手くできたかどうかとは別のところで。
展開が早い。
ペグはあんなに思った場所で止まらなかったのに、話だけは妙にするすると進んでいく。
ここまで来ると、もう仕方がない。
これはもう、続けるしかないだろう。そう思った。
