57年前、この舞台で笑いが始まった

1969年10月4日。

『8時だョ!全員集合』の第1回が放送された。

その第1回の公開収録が行われたのが、三鷹市公会堂だった。

初回の視聴率は12.9パーセント。

そして57年後。

2026年9月6日。

私はその同じ舞台を、タップシューズで鳴らしていた。

もちろん、57年前の出演者たちは、まさか半世紀以上あとに知らない人間が鉄板のついた靴で床をカツカツやるとは思っていなかっただろう。

床も思っていなかったはずだ。

床には床の都合がある。

それでも、その日は来た。

7つの光

ダンスユニット「Mu❤︎Zies(ミュージィーズ)」の初ステージだった。

振付はsaekoさん。

ジャズダンサーが6人。
タップダンサーが1人。

その1人がわたし。

「1人だけタップ」と書くと、急に珍獣枠のような雰囲気が出る。

6頭のシマウマの中に、なぜか1頭だけオカピがいる。

そんな感じもしなくはない。

だが今回の作品では、その違い自体が意味を持っていた。

Mu❤︎Ziesという名前は、ギリシャ神話で芸術を司る女神「ミューズ」に由来している。

一人ひとりが、それぞれの光を持っている。

同じ光ではない。

色も違えば、強さも違う。

たぶん、ときどき電池が切れそうな人もいる。

それでも7つ集まれば、一人では作れないものになる。

7つの光で、一つの作品を作る。

そういうチームだった。

6羽と、1羽

踊った曲は、うぴ子さんの「カラス」。

BPM65。

かなりゆっくりしたテンポだ。

ゆっくりした曲は簡単そうに見えるけれど、踊る側にとってはむしろ逃げ場が少ない。

速ければ勢いで通り過ぎられる場所も、BPM65ではちゃんとそこにいる。

こちらが見なかったことにしようとしても、向こうから見ている。曲が。

歌詞は疎外感や自己喪失を描いてる。

きれいな救いにはたどり着かない。

「いろいろあったけれど、明日から頑張ろう」と肩を組んで終わる曲ではない。

肩は組まない。

たぶんカラスなので。

それでも最後には、生きることを選ぶ。

歌詞の中には、群れとは違う飛び方をする一羽のカラスが現れる。

今回の「6人と1人」という編成は、saekoさんがそこから組んだものだった。

6人のジャズダンサー。

1人のタップダンサー。

曲の中にある構図を、そのまま人間の配置へ移している。

だから7人が舞台に立った瞬間、すでに一枚の絵になっていた。

振付を受け取っていくうちに、自分がその絵のどこに置かれているのかも、少しずつ見えてきた。

端なのか。
中央なのか。

仲間なのか。
異物なのか。

たぶん、どちらでもある。

人間もだいたいそんなものだと思う。

救いのない曲から、何を持って帰るのか

この曲でタップをするにあたり、少し葛藤があった。

わたしは、ステージは客席に何かを渡す場所だと思っている。

もちろん、物販じゃない。

踊り終わったあとに「こちら今日の勇気です」と小袋を手渡すわけでもない。

けれど、何かしら持って帰ってもらいたい。

そう思っている。

だから考えた。

救いのない曲を踊って、自分は何を渡すのだろう。

暗いものを暗いまま置いて帰る。

「以上、暗さでした」

これはわたしの中では少し違った。

そこで歌詞を何度も読み返した。

すると、本当に短い一瞬だけ、光が差すところがある。

長くは続かない。

照明でいえば、一回ついてすぐ消える。

「あ、今ついた」

と思ったころにはもう暗い。

でも、確かにある。

だったら、その一瞬を少し大きくしてみようと思った。

曲を勝手に明るくするのではない。

絶望を希望に改造するわけでもない。

わたしは工事業者じゃないからだ。

もともとそこにある、小さな光を拾う。

この曲から客席へ何かを渡せるとしたら、たぶんそこだと思った。

太鼓もタップも、結局は床とか皮を叩いている

わたしは和太鼓教室とタップダンス教室、その両方で教えている。

「二足の草鞋ですね」と言われることがある。

たしかに履物として数えれば二足かもしれない。

片方は草鞋ですらなく、タップシューズだけれど。

でも、わたしの中ではこの二つはそれほど分かれていない。

バチで太鼓の面を打つ。

タップシューズで床を打つ。

どちらも身体を使って音を出している。

リズムを刻む。

間を作る。

重力を音に変える。

使っている道具が違うだけだ。

教えていると、それがさらによく分かる。

太鼓の生徒さんに言っていたことを、数日後にはタップの生徒さんにも言っている。

「力で鳴らさない」

「体重で鳴らす」

「急いで動かない」

「間を作る」

「身体の使い方が変われば、音が変わる」

言っている本人が、だんだん混乱してくる。

これは太鼓の話だったか。

タップだったか。

どちらでもいい。よくはないけれど、通じている。

つまり、わたしの中ではかなり同じなのだ。

だから今回、タップでこの舞台に立つことを「別ジャンルへの遠征」とは思わなかった。

ジャズダンスの作品にタップダンサーが参加した、と言えばそうなのだ。

でもわたし自身の感覚としては、もっと単純だった。

この作品が必要としたのがタップの音だった。

そしてわたしは、その音を持っていた。

それだけだったのかもしれない。

その日にしか鳴らない音

『8時だョ!全員集合』は、客席を前に、その回だけの舞台を作っていた番組だった。

毎週、同じ時間に始まる。

でも、同じ舞台は二度とない。

ダンスも似ている。

振付そのものは決まっている。

右へ行く。
左へ行く。
ここで止まる。
ここで鳴らす。

文字で書けば、ずいぶん事務的だ。

でも、その日の身体はその日にしかない。

少し疲れている日もある。

妙に身体が軽い日もある。

昨日できたことが、今日はなぜかできない日もある。

身体はわりと勝手だ。

客席の空気も、その日にしかない。

こちらが音を出し、客席がそれを受け取る。

その反応をこちらがまた受け取る。

そして、その場にしかないものができていく。

同じ曲を踊っても、まったく同じ舞台にはならない。

それは少し不便だけれど、かなり面白い。

私たちも、一回分だけ加わった

57年前にこの舞台へ立った人たちと、私たちの間に直接のつながりはない。

「歴史のバトンを受け継ぎました」

などと言うつもりもない。

そんな立派なバトンは受け取っていない。

知らないうちに受け取っていたら困る。

返却先も分からないし。

でも。

同じ場所で。

客席に向かって。

その日限りのものを立ち上げる。

それだけは、たぶん同じだった。

1969年10月4日。

この場所で、笑いが生まれた。

そして57年後の2026年9月6日。

ジャズダンサーが6人と、タップダンサーが1人。

7人で舞台に立った。

救いの薄い歌の中から、小さな光を拾った。

身体を動かして、音を鳴らした。

終われば、もう同じものはできない。

歴史というほど大げさなものじゃない。

記念碑を建てるほどでもない。

三鷹の駅前に銅像ができる予定も、今のところ聞いていない。

でも、この舞台の長い時間の中に。

2026年9月6日という一日があって。

そこにわたしたちも、一回分だけ加わることができたのだ。

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