退場! 駅前に審判はいない
川崎駅の東口では、路上で歌うのに登録がいる。
「川崎駅東口ストリートミュージックパス」とかいう、2025年8月に始まった仕組みらしい。
大きな音や夜遅くの演奏に、苦情や通報が絶えなかったとか。そりゃそうだ。
そこで市が警察から道路使用許可を受け、演奏したい人に登録証を出すことにした。演奏は正午から午後9時まで。順番待ちがいれば、1時間で交代。
実にまっとうだ。
それにしても、パス。
いい響きだ。
「パスを持つ者」。それだけで、なにやら特命を帯びた人のようだ。ウルトラ警備隊の隊員証。あるいは葵の御紋の印籠。
『ええい、この紋所が目に入らぬか』
と登録証を掲げる歌い手。
実際にはそんな権威はなく、登録証であるA4以上の紙を客から見えるところに貼っておくだけのものらしい。印籠にしてはずいぶん平たい。
わたしがこのパスの存在を知ったのは、日曜が月曜に変わったころだった。
布団の中で、愛機・千里眼号をいじっていた。
千里眼号とはわたしのスマホのことだ。名づけたのは三秒前だが。
千里眼号は、遠い川崎の出来事をわたしの布団の中まで律儀に運んでくる。頼んでもいないのに。
運んできたのは、25秒の動画だった。
土曜の夜。川崎の駅前で歌っていた男性が、マイク越しに客席の3人へ呼びかける。
「出てってくんない?」
はあ?
声が出た。布団の中で。
言われた3人のお客さんは画面に映っていない。歌い手は、しゃべるのとスマホをいじるのをやめてここにいるか、どこかへ行くか、どっちかにしてくれと続けていた。
わたしは布団の中で、ずっとスマホをいじっていた。わたしも出ていかねばならないのだろうか。自分の布団から。こういうとき、千里眼号は何も答えてはくれない。
翌日の昼前、本人が補足を出していた。
あそこは正式に許可を得て歌っている場所であること。注意した相手は、初めて観に来た人たちではないこと。通りすがりの人にあんなことは言わないこと。注意したのは、周りに聞こえる声でしゃべり続けたり、演奏中ずっとスマホを操作したりすることだ、と。
ふーん、なるほど。
常連だったのか。
常連にこそ厳しい。そう聞くと、なにやら頑固おやじの店のようだ。
頑固おやじの店。
思い出すのは、昔入ったことがあるラーメン屋の壁だ。
「まずスープから」「私語厳禁」「携帯電話禁止」
貼り紙が、壁という壁を埋めていた。麺より先に紙を食わされた気分だった。
ひと口すするたびに、カウンターの向こうから店主の視線が飛んでくる(気がする)。うまかったかどうか、まるで覚えていない。覚えているのは、コショウに伸ばしかけて引っこめた自分の右手だけだ。味についての記憶がないことが何かを証明している気もする。
こだわりはおおいに結構。
でも、こだわりが丼のふちを越えて、客の箸の上げ下ろしにまで及びはじめたら、それはもう料理とはいえない。指導だ。
話を川崎の駅前に戻す。
あそこはカウンターのある店じゃない。屋根もない。壁もない。貼り紙を貼る壁がそもそもない。
あの許可は、人や車がちゃんと通れるように市が受けたもので、場所を自分のものにする許可ではない。市のガイドラインの冒頭には、演奏する人にも聴く人にも、通行人や周りへの配慮を求める一文があるそうだ。
配慮を求められているのは、両方。
聴き方の作法を客に命じてよい、という項目は見当たらない。
駅前広場は『8時だョ!全員集合』の公開放送の客席ではなく、たまたまそこを通った人の群れでしかない。
乗り換えの人がいる。待ち合わせの人がいる。唐揚げの匂いをさせて帰る人がいる。
当たり前のことだけれど、その人たちの多くは歌を聴きに来ていない。
当然しゃべる。スマホも見る。
周りが迷惑するほどの大声なら、注意されても仕方がない。けれど、演者の気分を満たしてやる義務など、お客さんにはない。
退場。
サッカーなら、それを告げられるのは審判だけだ。胸ポケットから赤い紙を出して、高々と掲げる。
駅前広場に審判はいない。
いるのは、歌う人と、通る人と、ちょっとだけ立ち止まった人だけだ。
そして選手が自分で赤い紙を出したら、それはたぶん自分に出していることになる。
『うまいこと言ったつもりか?』
言ったつもりだ。
動画のリンクを、ラッパに送ってみた。
ラッパとは、路上で吹いていたこともあるトランペット吹きの友人だ。午前1時12分。既読がついたのは、1時19分。
「おれなら、しゃべってる3人に向けて一曲吹く」
おぉ、かっこいい。
続けてもう一通届いた。
「で、おまえは今なにしてる」
「スマホいじってる」
返信は来なかった。
わたしも楽器をやる。
路上で誰ひとり足を止めない時間の長さを知っている。
小学生がひとり立ち止まり、すぐに母親に手を引かれていったこともある。それだけで、次の一曲を打ち鳴らす元気が出た夜もある。
静かに聴いてほしいなら、静かに聴ける場所を演者が用意すればいい。ホールでも、ライブハウスでも、木戸銭を取る小屋でも。
ファンを引き連れてカラオケボックスに行くのだっていい。きっと気分よく歌えるだろう。
野外では聴き方を注文するより、思わず足が止まる音を鳴らしたい。スマホを持った手が途中でだらりと下がるような。おおぅっ、とうめき声が出るような。
言うのは簡単だけれど、それができた夜は両手で足りる。いや、片手で足りるかもしれない。
お腹が鳴った。
午前1時40分。台所の室温14度。
戸棚にはカップ麺が一個だけ残っていた。
好物の味噌味は昨日のわたしに先を越されていた。残っていたのは、いつ買ったのか思い出せないカレー味。
お湯を注ぐ。3分。
その3分のあいだ、わたしは千里眼号で動画の返信欄を読みふけった。賛成。反対。反対。罵倒。昔話。説教。
顔を上げると、12分経っていた。
麺は汁を吸いつくし、白くふくらんだ塊になっていた。
3分で仕上がった渾身の一杯を、わたしは12分、無視した。
カップ麺に「出てってくんない?」と言われても、文句は言えない。
