ナビゲートされた覚えはない
ラジオが好きだ。子供の頃から好きで、今でも耳が欲すると付けっぱなしにしていたりする。なのにずっと謎なものがある。「パーソナリティ」だ。
この言葉、ラジオ以外で聞いたことがない。テレビには「司会者」、バラエティには「MC」がいる。なのにラジオだけ、なぜか「パーソナリティ」と呼ぶ。直訳すれば「人格」。人格が喋っているのか? 改めて考えると不思議な日本語だ。
「DJ」もよくわからない。クラブのDJならわかる。ヘッドホンをちゃんと装着せず片耳にだけ当て、ターンテーブルとミキサーを操って何かをしている人。たぶんあれは技能。でもラジオでDJと呼ばれる人たちは、別に卓を操作していない。曲を紹介して、メールを読んで、CMに繋ぐ。技術スタッフは別にいる。じゃあラジオのDJって何をしてる人なんだろう。喋っている人? いやそれは「パーソナリティ」なのでは?
さらに困るのが「ナビゲーター」。J-WAVEがそう呼ぶ。まるで航海士みたいな響きを纏っているけど、やっていることは他局のパーソナリティやDJと変わらない。喋って、曲をかけて、リスナーのメッセージを読む。違いを文章化してくれと頼んだら、たぶん誰も書けないのではないか。
呼び方ばかり増えて中身は同じ、という現象は、ラジオに限った話じゃない。
パスタとスパゲッティ。厳密にはパスタが上位カテゴリでスパゲッティはその一種だけれど、「今日パスタ食べた」と言われたら、たいていスパゲッティを思い浮かべる。
ジーンズとデニム。ジーンズは本来ズボンを指す言葉らしいが、「ジージャン」という単語が普通に通じている時点で、その定義はもう壊れている。
ファスナーとチャックとジッパー。三つ並んで完全に同じ金属の歯々したアレを指している。
たぶん皆、本来の意味なんかどうでもよくて、その時なんとなくオシャレに聞こえる単語を選んでいるだけだ。「スパゲッティとかダサい、パスタでしょw」と言っている人に、ペンネとフェットチーネの違いを聞いても答えられないのではないか。
それ自体を責めるつもりはない。言葉は生き物だし、厳密に運用していたら日常会話が成立しない。
でも、ふんわり使っている人が別の呼び方の人を見下す瞬間にだけ、こちらの中で攘夷の念が湧くのだ。「パスタって呼ぶのが正しいんですよ」と知ったかぶる人。「ジーンズって生地のことじゃないんですよ」とドヤる人。おまえジージャン着てるじゃねえか、と思う。
定義を文章化できる人だけがその言葉を使う資格がある。これは厳しすぎる原則かもしれないけれど、少なくとも「知らずに使っているくせに、知っている側を笑うな」くらいは最低ラインとしてもいいと思う。
で、J-WAVEのナビゲーター。
あれは完全に「スパゲッティ? パスタ? ダサ過ぎ。フィットチーネでしょw」くらいの構図だ。DJもパーソナリティも外来語なのに、その中でさらに一段オシャレな高度を取りにいって「ナビゲーター」と名乗っている。同じ外来語のフィールド内でマウントを取り合っている。
でも、湯がいたらどっちもスパゲッティだ。ナビゲーターと名乗ろうがDJと名乗ろうがパーソナリティと名乗ろうが、マイクの前で喋って、曲をかけて、リスナーのメールを読んでいる。職能としては同じではないか。違いがあるとしたら局のブランディングだけだろう。
J-WAVEの偉い人に「ナビゲーターとDJの違いを文章化してください」と聞いたら、たぶん「うちのステーションの世界観を体現する存在で」みたいな答えが返ってくるだろう。それは定義じゃなくてポエムです。
ラジオが好きだから、こういうことが気になってしまう。気にしたところで誰も得しない。今日もラジオはついていて、ナビゲーターがCMを跨いで曲紹介をしている。私はスパゲッティを茹でながらそれを聞いている。スパゲッティだ。フィットチーネじゃない。誰かにナビゲートもされた覚えもない。

こんにちは。
しばらく更新されていないので、このコメントはすぐには読んでいただけないかもしれません。
ナビゲーター。
「誘導する」という「正しい」使い方をしているのは車の「ナビ」だけかもしれませんね。
一つの事象をいろんな言葉で表したり、外来語を本来の意味とは厳密に言えば異なる意味に使ってしまうのは日本語の特徴かもしれません。
名詞に「する」をつけることでそれを動詞にできる日本語。
ものごとを遠回しに表現する日本人の性質。
海外の、否、白人の文化に憧れを持つ日本人。
そういうことが外来語や和語を本来の意味とは異なる使い方を生んでいるのかもしれません。
その一方で「日本」や「日本人」にしか関心を持たなかったり、優越感を抱いたりする。
オオタニ選手の報道に代表される「日本人」のことしか伝えない報道。
日本人選手はいつでも「活躍」し、「勝利に貢献」している。
「誰々選手は今日は出場しませんでした」なんてことが「ニュース」になる。
自分たちがどう見られているか、どんなに良く見られているかを気にする。
外国人が見た「日本」。
素晴らしいものやことばかりです。
日本人は礼儀正しい。
日本はきれい。
などなど。
そんなのうそっぱち。
閑話休題。
「言葉は生き物だし、厳密に運用していたら日常会話が成立しない。」
ら抜き言葉、さ入れ言葉、やばい、ちょー、めちゃくちゃ…
最近の言葉の「乱れ」。
良くても悪くても「やばい」。
程度が甚だしいことはなんでも「ちょー」「めちゃくちゃ」「めっちゃ」。
素晴らしい、美しい、汚い、醜い、とても…
こういう表現はもう使われなくなってしまうのでしょうか。
先日、風が強かった雨の日。
小学生が持っていた傘がおちょこになってしまったとき、「うぁー、やばい!」。
「おちょこ」はまだしも、「裏返る」「ひっくり返る」という言葉はもう使われなくなってしまうのでしょうか。
長くなりました。
この辺にしておきます。
案の定、気付くのが遅くなってしまいました。申し訳ありません!
コメントありがとうございます!
ナビゲーターから、ずいぶん話が広がりましたね(笑)
でも言葉って、考え始めるとどんどん別の話につながっていくんですよね。
わたしは今回、言葉の乱れそのものというより、「やってることはそんなに変わらないのに、呼び方だけどんどん空虚なオシャレになっていくのは何なんだろう」というところが気になって書きはじめました。
「やばい」とか「めっちゃ」みたいな話も、これはこれでまた別の記事が一本書けそうです。最近だと「エグい」とかも流行ってますね。